最近、映像作品の製作をスタートさせた。
長編のCGアニメ作品になる予定です。
CGと聞くと3DCGと思う方がいらっしゃると思うのですがここでは、CG全般のことで、コンピュータ上でアニメを作成するということです。
この辺は人によって解釈が違うので、なかなか難しいものですな。
というわけでそういったものを製作し始めてるわけです。
それで、ここ1週間、その作品の一番のべ−スになるストーリを作り上げることをやっているわけです。
やり始めると、つぎからつぎへと新しい、アイディアが生まれてきて楽しいものです。
ただ、それをいかに取捨選択していくかがなかなか難しい。
いいアイディアでも、それを採用してしまうと他のところが成り立たなくなる。
そういったことを考慮して、ストーリを構築していくことはかなり厳しいと感じた。
ここ4年間ぐらい、映像作品を作ってなかった所為もあるのだろうか、映像と静止画の違いを感じる。
静止画はコンセプトを作り上げてしまえば、あとはそれにどう形にしていくかで作業は完結する。
けれども、その中でもコンセプトを一枚の絵の中に盛り込む過程でいろいろと試していって、うまくいくこと、うまくいかないことがはっきりしてくる。
それで一枚の絵をつくり上げていくのにもの凄い時間がかかる。
そんなことをこの映像製作をやらなかった4年間やりつづけてきたわけだ。
要するにコンセプトを作り上げる上で、一枚という限られたスペースに主義主張をいかに表現するかが関わってくる。
それでコンセプトを作り上げる過程で、そのコンセプトと表現手法が関わってくる。
その作業を完結してしまえば、後は手を動かせばいいわけだ
しかし、いきなりコンピュータ上で描くことはできない。
昔はぶつけ本番でやったのだが、時間が余計にかかることがわかった。
最近のパソコンは速いから一つ一つの作業が楽になっているが、それでも絵を構築するという行為において、パソコン上で動かして、決めるということがあまりに繊細すぎて決められない。
大まかな構図をアナログ(紙と鉛筆)で表現してやってからでないとすすまない。
それをやった上で、パソコン上で精密に調整してやるとしっくりくることをみつけた。
これは昔は信じてなかった。
しかし、最近は感覚的ではあるが、手をリアルに動かすことに意義を感じるようになった。
不思議なことに感覚的に大まか(ファジー)なものはパソコンでは難しいと昔から言われているが本当にそうだと思う。
アナログのファジーの感じをデジタルで表現するのはもの凄い大変だ。
それは、計算科学の世界でも同じことであり、表現の世界でも同じだ。
そのことを感じれるようになったこの4年間はある意味、貴重な時間だったのかもしれない。
話が逸れたが、話を戻すと、静止画作品と映像作品の実製作の前段階の違いについての話にもどる。
映像作品はコンセプト、ストーリー、表現手法といったものを映像を作る前に決めてやる必要がある。
その一方で、静止画作品は一枚の作品としてものをいわなければならないのでコンセプト、表現手法(時にはストーリも)をその枠組みの中で完結できるようにしてやらなければならない。
それゆえに、やっていることは基本的には同じはずなのだが、なにか違ったものを感じてしまう。
自分としては一枚という空間を使って表現を続けていた所為か、かなりの情報、コンセプトを編集し、再構築して、絵に載せる癖がついている。
それを今、映像作品のプレプロダクション(実製作の前段階)として同じようにやろうとしている。
しかし、自分としてわからなくなっている。
それは、他の映像作品を作った過去のコンセプト作りと明らかに違っているのである。
もっと、安直なコンセプトで作っていたはずなのに、深く考えすぎているのではないかと思えるほど、かわった。
その4年前と今の自分の差異の所為で違和感を覚えているのかもしれない。
しかし、それがいいことなのか悪いことなのかは映像ができあがってからの楽しみということなのだろうな。
それと、やはり静止画を作る上でそのコンセプトを語るということをやるのと映像でコンセプトを語ることが同じようなことなのか、それを求めていきたい。