今日、ある授業をうけてそのあとグループミーティングをしたのだが、話がまとまらないし、方向性がまとまらない。そんなにわけの分からん話でもないのに、どうにもこうにも自分の分野としての科学なるものに固執しているようにしか僕には見えなかった.科学を学ばなければならない。人は学ばなければほかの動物と同じような存在に成り下がってしまう。それは科学に特にいえるものではなく、結局のところバランスよくまなばなければならない。そこのところを今の人は科学技術の恩恵にあやかりながら、まったくそれについて敬意をはらってないということをいうのだ。しかし、それは本当なのだろうか?逆に科学系の学生が文系科目への敬意を払っているのかということを考えると、理系学生がコミュニケーションが本当にできてるのかということを考えると決してそんなことはないだろうと思う。どんなに、自分の分野がいとおしくてもほかの分野への理解をなしに、自分の分野において正しい方向へ導くことはできないと僕は考える。結局、科学は純粋無垢なような分野であるという主張は、正しくも間違っている。それが、非常に危険な思想のようにも思う。科学は時として政治の道具にもなりうるし、その逆もしかり。ほかの分野と複雑な絡み合いの元に成り立っているのに、あたかも単一で存在しているかのように、また、ほかの分野のほうが優位であるとか、そういったヒレラルキーがあるのかといったら、ない。そんな感じに自分たちは孤高の存在であり、ほかは無理解な存在であるという方付けに解せないものを感じる。人は孤独であると思い込みたい者である。僕もそういった一人あることを見つめつつ、そんなことはないとも感じている。そんな感じにひどく歪められて、自分たちだけの権利、自由を考える。なんとも我がつよいというかむなしいな。なんつーか、憂国への道は間違いなくつづいているようだ。
そんなものにたいして僕は回答を持ち得てるのかもしれない。それを実現できるのか。このインターネットの海のポテンシャルにかかってる。ものつくりの国、技術立国、文化立国への道を切り開きうるもの。それを持っているのかもしれない。