社会のダークサイドがネットの力で明るみになってきてるのかは、定かではないが、さまざまな情報が手にはいるようになった。
それで、思うことは、この国って、良い意味でも、悪い意味でも、平和すぎるんだろうなとおもった。
まあ、大抵の場合において、なにか良くないことが起こっている時というのは、多くの人が目に触れるようになってからでは対処できない状態になっている。
気がついてからでは手がつけられなくなっているなんてことはいくらでもある。
情報が多くもたらされるのは、良いことなのか、悪いことなのか、わからない。
一人一人の力が強化される。
ネットが一人の人間に与える力は、大きい。
けれどもそれの使い方を間違えたら、多大な被害をもたらす。
おおいなる力には、それだけの責任が伴う。
ノーブル・オブリュージュ的なものがネットを使う者に課せられる。
力をもったものはそれだけ責任が伴う。
多くの情報、教育の機会、そして豊な生活、それを享受するということは、それなりの力の証明である。
ネットによって、さらにそれが強化される。
責任もついて回る。
これが、この時代のよくも悪くもある点だ。
力はある。
責任をとるだけの意識が僕を含めあるのだろうか?
大いなる力とそれに伴う責任。
それがなんであるのか見え隠れして、段々僕は今の立ち位置からかえなければならないというのが自覚している。
どれだけ、僕は、弱き自分に勝ち、その責任を果たせるのか。
無責任な僕が、責任をもてるのか?