毎日、大学へいったら帰りは10時以降になる事が多い。
研究室が24時間営業中ということと、勉強環境としてかなりいいということで、午前の授業終了後、ずっと机に向かって勉強、読書をすることが多い。
そんな感じに、毎日を勉強に費やして自分の足りない学力を補おうとしてるわけだ。
しかし、その試みの一方で、どんなに勉強すれども、研究のために必要だとおもわれるような知識に到達することができない。
到達できたかと思ってもすぐにそれは幻想であるということがわかる。
そして、なによりも勉強をすればするほど、自分が知らない事が増えていっている。
前より、知っているのかもしれない、前より変わっているのかもしれない。
けれども、前の自分が見えなかった問題をみることになる。
それで、絶望するのかといったら、そうでもない。
ただただ、人間が書き記したもの、やってきたことの膨大さを知って、わくわくするだけだ。
毎日が未知との遭遇で、心躍る毎日である。
まあ、懸案というか、自分の直感が外部へのアウトプットをしろと言うことが気に掛かる。
ただひたすらにインプットしかしてないような毎日故に、アウトプットをもとめてるのかもしれない。
それは、表現するということ。
まあ、たぶん目に見えるような形で表現するという事だと思おう。
今の時点で僕は、勉強するということが表現の中心になっている。
それは、自分がどれだけしらないのかということを自分に示している表現。
残念なことにそれは、自分にしかわからないし、だれもが通って来た道だ。
まあ、目にみえないことだけじゃなく、時には、目にみえることもやりたいよということだ。
ただ単純にやればいいことなんだろうけど、ただやるということが一番難しいと思う。
感情とも欲とも切り離されたところでただ生きると言うことを求めてるけれども、どこかで自分はそれができてない。
真剣にやってる状態はその感情とも欲からも解放されている、けれどもそこまで集中してものをやるのは難しい。
だけれども、それが一番率直で生きる事に直結してるような気がする。
というわけで、近いうちに表現をする。