本を読むか、プログラムの勉強をしてすごしている。
そんな中で、読んでる本があれなのかもしれないけど、ここのまま人類は、破滅へ向かうのかもしれないなと思った。
僕自身が、やっている分野を切り詰めていくと、産業革命につぐ革命のど真ん中にある分野、情報になるわけだが、どうも、その可能性故に、さまざまな人の思惑が入り乱れて、人を統治する方法として、見なされはじめているようだ。
国と言うくくり、企業というくくり、人種、宗教。。そんなくくりを必死で守ろうとしているものたちにとって、情報技術というのは、非常に利用価値が高いものであると認識されはじめているようだ。
どうやら、それを制するものが次の時代を制するほどのものようだ。
しかしながら、科学技術が原爆をうみだして、純粋な好奇心だけでは、研究をすることができないということが認識されて、早60年、人は、また情報技術の分野でも好奇心だけで物事をおしすすめようとしている。
そして、悲惨な結果をうみださそうとしているようだ。
完全な管理社会。
そんなものを実現させることもできるようになるかもしれないようだ。
現実と仮想の世界が今、丁度衝突してものすごい摩擦を起こしはじめている。
その結果として、完全な管理された世界が生まれる可能性がいくばくかでてきている。
それを漠然と見過ごす事が出来るのか,それとも抗って、次の時代の平和の礎を築き上げるのか、情報技術を扱うものすべてに問われる命題になってきてるようだ。
自分の専門しか知らない人は生き残れない。
そんな時代がもうすぐそばまできている。
それは、情報技術によってもたらされるであろうといわれている。
ただ、専門をしっているやつはやまのようにいる。
そこから何かを生み出せる人間がものをいうようになるというのが今の世界の知識人の意見だ。
ただ、漠然と、ものを知ったつもりでいるようならば、淘汰されるという世界。
ただ、詰め込まれた知識だけで勝負ができなくなる世界。
だけど、そのことに気付いているのは、本当にいろいろなものを見る人間だけ。
単純な、インターネットによって様々な知識が手に入るようになる、ビジネスが海外でもシームレスに行えるようになるという、それだけの理由で、専門知識だけを擁する人は淘汰されるというのだ。
そのバックグランドには、今までは世界を相手にしなくてもやっていけたようなものまでが、世界を相手にしなければならなくなるということ。
今までは、情報が手に入らなくて指を加えてみていた、世界の半数以上の人間が専門家として教育を受けられるようになっただけで、それが起こる。
身内だけを相手にしていればよかったのに、急に、世界に相手にするという無理難題。
一方、力さえあれば、いくらでも登り続けることができるという世界。
格差社会なんていわれているけど、それはこの現象の一端だ。
そんなこともしらずに金がないとわめくのは、自分が自分の分野のことしかしらなかったことに所以することをしらなければいけない。
けれども、それは、あたかも幻影のように、専門さえ知っていればできると思っている。
親父と話していて、生物をやって来た奴よりも、他の理系分野をやってきた奴の方が仕事をするということがでてきた。
それは、完全に生物屋さんの仕事=生物の知識労働ではなくなっていることなのだろうとおもう。
どんなに自分が目指した道でも盲目的にそれしか見なかったら、だめになる。
それは、今までも専門馬鹿は使えないと言うことがいわれていたけれども、それが情報化によってさらにその傾向を加速させたにすぎないのかもしれない。
ひどく残酷だけれども、一つの分野だけしか知らないような人間は、生き残れない。
多分,情報化が進めば進む程、世界は人が理想だと考えたような姿になる。
けれども、それが、万人にとっていいものではない。
本当に頭だけがいいやつは生き残れないし、世間がみるような平等な世界はないのかもしれない。
人が考える、平等、自由なんかを吹き飛ばし、より自然な平等、自由になるのではないかと思う。
他人に乞うものじゃなく、自分でみつける、平等と自由。
他人に求める自由と平等なんてたがしれているし、自分が縛り続ける事の方がよほど他人からの抑圧よりもでかい。
結局、今、この情報分野でおきていることは、人類にとって大きな転機となりうる事態なのかもしれない。
人の多様性を認められるようなものとなるか、それとも、人を縛りつけて管理するものとなるかは、これから先の10年の戦いの中に全てが在るように思う。
自分がたっているこの場所が、恐ろしく面白く、怖いところであるということを認識する日々である。