自由だとか、権利だとを主張する人がいる。
けれども、その人が、本当にそれを主張することができるのか、時たま疑問に思う。
自分が、他人に対してやってきたことで、それが他人を害していたことがないのか?
どこかしかで、主張だけが高らかに聞こえる。
なにか、自分は損をしているという感覚を他人に押し付けてそれを正当化する。
損をしているから何かを得る権利があるんだという思い込み。
そんなものが、見え隠れする世界。
主観で、自分が正しいというものを誰しもが持っている。
けれども、正しいけど、同時に間違っている。
人によっては、正しいといい、また、間違っているという。
それぞれの思考がそれぞれが望んだものだから仕方がない。
口当たりがいいように、何事も解釈する。
けれども、それが本当に何かを生むかといったら何も生まない。
主観という足かせを嵌められて生きてるということを誰も気付かない。
自分の状態は、それの反映。
良いと思える状態を夢想するけど、だれしもそれに向かって行っていない。
ただ、主観に捕われてもがく。
それだけ。
なにか、正義だとか、悪だとかについて語っている時、それは多分、主観でしかない。
客観的にみたら、その関係があべこべになる。
そんなこともわからずに正義を主張する。
それが正しいという。
そんな感じに、主観だけの世界。
酷く主観に満ちて、相手への期待だけするだけして、裏切られたら、それを恨む。
そんなことの繰り返し。
自分が相手に何をしたのだろうか?
相手に与えただろうか?
与えたものが返ってくる、ただそれだけだ。
幸せなんてものは、主観の先にある。
だれもその存在に気付かない。
平和なんてものは、平和を詠うやつのもとにはやってこない。
幸せは幸せを求めるものの元には来ない。
刹那的なものは手に入るが、まやかしなんだろうな。