気が付けば、もう年が明けて暫く経った。
卒論というものを書きつつ、自分の前に広がる無限の宇宙を見て、僕は、この無限の宇宙の前で矮小な存在になりさがってるのか、それともそれと因果で結ばれた同等でありながら、そうでない存在なのか、考えている。多分、そんな自己の存在への問いかけが終わろうとしてるのかもしれない。
今年という年は、自分を縛り付けていたものからの解放の年だというような気がする。それは、自分で自分を苦しめているということ、自分というものを定義しているもの、結局は、自分という箍。それからの脱出が出来るのではないかと思う。
自分は自分。だけれども、それは常に一定でなく存在しない。同じ自分はいない。そして、それは瞬間瞬間に変化してる。違ったものなのに同一だと思うことが至上に楽だったけれども、それが自分を苦しめる要因だった。
それゆえに、僕は、それからの解放を達成し、他者への愛を与えることをしようとおもう。単純には、いかないけれども、それだけなのだと感じる。ポジティブであることが未来のポジティブにつながる。感情に一喜一憂しても、結局世界の因果の前には、喜びは喜びに、憂いは憂いに、怒りは怒り、悲しみは悲しみ、形は変われども、繰り返される。それを断ち切れるのは、自分でそれに対する反応だ。自分だけが、唯一完全にコントロールすることができる。難しいけれども、それ以外のものは不可能に近い。
水のようになるということは、粒子であり、波であることではないかと思う。それは時と場合でそれにあわせることができるからだ。自然の因果の中で、その因果にしたがい、それに従うこと。因果に抗うことはできない。因果を変えることはできない。ただできることは、自分を変えること。
そんな感じに自分を水の状態に化し、そしてそれで僕は世界に挑もうかと思う。それは、どんなに厳しいと言われようが、愛するものを守るために必要なのではないかとおもう。邪悪にならない企業で社会貢献、人々の幸せのために存在するものを目指したい。
人は生まれる、そして消える なんのために だれのために (Name〜君の名は〜)