今日は、久しぶりに高校時代によくつるんでいた仲間たちと、逢った。何時逢っても、安心感を与えてくれる仲である。各々、進路がきまっていたりして変化しているのだけど、変わらないものが強くあっていい。母校の変化やら、色々な話題をしてすごした。
しかし、なんだろうか、この会合にでるといつも思うのだが、自分の歩んで来たものが間違いではなかったと確信できる。皆、分野は違えど、さまざまな方向の情報を常に摂取して、いろいろと考えてる。そして、逢うとそれを肴に議論をかわす。常に新鮮みのある話題でなかなか日常的に感じる事のできないものを感じて返ってくる。ものを如何に考え、情報を摂取するのか、常に考えてる連中だからこそ成せる技なのかもしれない。どうなるかわからないけれども、将来的にも皆とつるんでいけるような気がするのは、そういったものがあるからなのであろう。自分の立っている場所について考えを巡らし、そして自分のやるべきことをみつける、そんなことが安心感を与えてくれる要員なんだろう。この集団は、決しては群れて遊んでるわけじゃなく、それぞれのポリシー、スタンスを明確にもって物事に取り組める。スタンドプレーから成るチームワークとでもいうべきだろうか、それがなっているがためにものすごく連帯感がありながら、居心地がいい。日本の社会でいわれるような安い”個性”の上になったものとはまったく別次元の固まりなんだろうなと思った。
今の日本にないものを共有しているからと感じた訳だが、それで、これから何をすべきかが明確にみえた。かっこ良く生きて後発の連中を励ます。おのおのの分野は違えど、統合的に行動すれば、なにか大きなことをなしとげられるような気がした。自分勝手になにかをやっていくのと違った公的にも意味のあることをやっていく、それが可能なのではないかと思えた一日であった。専門という本来のありかたを痛感できた。